スポーツ観戦好きオジサン つれづれ

僕がスポーツのことで感じたこととかを書いていきます。

「好きだから」でリングに立つウルフ・アロンに、静かに拍手を送りたくなった朝。

ウルフ・アロン選手


朝のコーヒーを片手にテレビをつけると、流れてきたのは意外なニュースだった。 柔道金メダリストのウルフ・アロンが、新日本プロレスへの入団を発表したという。

思わず、手を止めた。 その報せは、驚きというよりも、じんわりと心に染みる種類のものだった。

「理由は、好きだから。」

発表会見の映像で、彼はこう言っていた。

「転向の理由?――好きだからです。」

この一言が、どうにも心に残った。 プロの世界で“好き”を理由に道を選ぶことの、なんと潔くて、なんと誠実なことか。

昔、ジャンボ鶴田に憧れていた

中学生のころ、僕はプロレスが好きだった。 とりわけ、ジャンボ鶴田が好きだった。体格、技の説得力、そして何より、あの落ち着きと堂々たる雰囲気。 彼と天龍源一郎のライバル関係は、“鶴龍時代”なんて呼ばれて、試合のたびに胸が高鳴ったのを覚えている。

鶴田はレスリングのエリートだったし、天龍は相撲出身。 それぞれバックボーンは違うけれど、競技から競技へと渡ってきた選手たちがリングに立つ姿には、何か特別な魅力がある。 その後、小川直也石井慧のように、柔道からプロレスへ転向した選手の挑戦も見てきた。 そこには「格闘技の強さ」と「プロレスの奥行き」の交差点のようなものがあった。

アスリートが“表現者”になるということ

ウルフ・アロンも、柔道で十分すぎるほどの実績を残した選手だ。 東京五輪では金メダル。そこから引退、そして迷う間もなくプロレスへの転向。

たとえ自分の中に「やりきった」という手応えがあっても、ふつうはその先へ踏み出すには時間がかかるものだ。 でも彼は、それをしなかった。いや、できなかったのかもしれない。

プロレスという舞台は、“強さ”だけでなく、“人間としての表現”を求められる世界だ。 そこに惹かれたのだとしたら、彼の中にはまだ見せたことのない「何か」が眠っているのかもしれない。

控えめに、でも確かに期待している

来年の1月4日、東京ドームでデビュー戦を迎えるとのこと。 しかも、それは棚橋弘至引退試合の場でもある。

さすがにいきなり主役を張るような展開にはならないだろうけど、それでいい。 デビュー戦は、派手でなくてもいい。 不器用でも、ぎこちなくても、リングに立っているその姿が見られたら、それでひとまず嬉しい。

プロレスのリングは、瞬間ごとに観客の心を試す舞台だ。 ウルフ・アロンは、どんな一瞬を見せてくれるだろうか。

最後に:強さのかたちが変わっていくこと

人生における「強さ」の定義って、きっと年齢とともに変わっていく。 若い頃は勝つこと、数字を残すことが強さだった。 でも今は、自分で選んだ道を自分の意志で進んでいくことに、別の種類の強さを感じる。

「好きだから」 そんな理由を堂々と言える人は、きっと強い。 その姿勢だけでもう、応援したくなってしまう。

今朝のニュースは、そんな思いをふっとよみがえらせてくれた。