スポーツ観戦好きオジサン つれづれ

僕がスポーツのことで感じたこととかを書いていきます。

【追悼】長嶋茂雄さんと釜本邦茂さん──日本スポーツ界の巨星が残したもの

長嶋選手(天覧試合)

 


秋のスポーツシーンと大きな別れ

皆さん、こんにちは。 秋本番──スポーツが盛りだくさんの季節ですね。
サッカー天皇杯町田ゼルビアが初タイトルを獲得して幕を閉じました。国立競技場が半分ほどしか埋まらなかったのは少し残念でしたが、それでも歴史的な瞬間でした。

侍ジャパンの韓国戦も盛り上がり、森下選手の活躍が光りました。
NPBでは戦力外通告やトライアウト、FA宣言、契約更改などニュースが続々。
桑原選手にはぜひ他球団の評価も聞いたうえで、愛着あるベイスターズに残ってほしいですね。
サッカー日本代表も年内の試合を連勝で締めくくり、Xリーグではライスボウルトーナメントが開幕。僕の推し、谷口選手率いる東京ガスクリエイターズも初戦を迎えました。

そんなスポーツの熱気の中、2025年は大きな別れもありました。日本スポーツ界の巨星、長嶋茂雄さんと釜本邦茂さんが亡くなられたのです。

 

長嶋茂雄さん──プロ野球の象徴

僕が少年野球を始めた頃、長嶋さんはすでに第一次監督時代を終え、解説やタレント活動をされていました。東京世界陸上カール・ルイス選手に「ヘイ!カール!!」と声をかけて腕をつかんでインタビューしていた姿は、子供心に「おかしな人だなぁ」と思った記憶があります。

その後、僕も少し成長して野球やプロ野球のことも、だんだんわかってきたときに1990年代にジャイアンツの監督に復帰したときは「おお!」と胸が高鳴りました。第二次監督時代には松井秀喜選手を獲得し、マンツーマンで指導。松井選手が大打者へと成長していったのは、長嶋さんの存在抜きには語れません。落合博満選手、清原和博選手の獲得、高橋由伸選手や上原浩治投手らの育成・補強も印象的でした。

2000年、背番号を「3」に変更し、キャンプでジャンパーを脱いだ瞬間は、僕のなかでは忘れられない瞬間でしたね。
退任後は脳梗塞により活動の幅が狭まりましたが、松井選手がヤンキースで活躍していた頃にはメディアに登場し、日本中を沸かせました。亡くなられたことは本当に残念で、日本の大きな損失です。NPBが「長嶋茂雄賞」を設置すると発表しましたが、果たして受賞にふさわしい選手が現れるのか──それほど特別な存在でした。

 

釜本邦茂さん──日本サッカー界のレジェンド

釜本邦茂さんも2025年8月に亡くなられました。現役時代は知らない世代ですが、僕にとってはガンバ大阪の監督としての印象が強いです。当時のガンバは結果が出ず、批判もありましたが、それでも日本サッカー界に与えた影響は計り知れません。

日本代表としてメキシコ五輪で銅メダルを獲得し、得点王にも輝いた釜本さん。日本サッカーの基盤を築いた功績は不世出の存在と言えるでしょう。Jリーグ開幕以降も、釜本さんの名前は常に特別な響きを持っていました。

 

王貞治さんの連続参列、そして未来のレジェンドたち

くしくも、お二人のお別れの会は11月21日・22日と連続で行われました。両方に参列した王貞治さんの胸中を思うと、言葉になりません。

長嶋茂雄さん、釜本邦茂さん──日本スポーツ界の象徴的存在。今後、こうした方が再び現れるのかはわかりません。イチローさん、松井秀喜さん、三浦知良選手、ラモス瑠偉さんなど、今も元気なレジェンドたちが、やがて同じように“時代の象徴”として語られる日が来るのでしょう。

スポーツの結果を見ながら、寂しさを覚えるトピックスでしたが、同時に「スポーツや選手がもたらすものの大きさ」を改めて感じました。僕はこれからも、こんな素敵なスポーツを一生懸命応援していきたいと思います。